穏やかな日々を願うのは・・・沸点の低い親との暮らし

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あ~あ・・・
穏やかな生活がしたい・・・

この穏やかな生活がしたい・・・

神社に行っても、お寺に行っても、神棚の前でも、仏壇の前でも・・・
どこかで手を合わせる時は、
「家族みんなが穏やかに」
「ケガなく、事故なく、病気なく」
「どうか家族みんなが平和に穏やかに暮らせますように・・・」

と願っている。

きっと子供の頃からずっと・・・
平和で穏やかに暮らしたいと願い続けている。

それはきっと育った家庭環境の影響だと思う。

うちの親族は血の気が多く、あちこちで揉め事が起きていて、特に本家である我が家はしょっちゅう揉め事が起きていた。

父親と祖父母のケンカ、親の夫婦ケンカ、父親の兄弟ケンカ・・・
大声で騒いだり、物が飛んだり、流血したり・・・

それにおびえて育ってきた。

沸点が低く、どこにそのポイントがあるのか、全く理解できない。

どうしてそんなところで腹が立つのか?
どうしてそんな風に解釈するのか?
ひねくれた性格は思いもよらない方向へ勝手に解釈したり・・・

変なところで突然腹が立つようで・・・

その父親のご機嫌ひとつで家の雰囲気がガラリと変わるから、安心していられない。

もしも平和な家庭で育っていたら、「穏やかに暮らしたい」という願い事ではなくて、
「ああなりたい」とか
「こうなりたい」とか
もっと夢のあるお願い事をしていたのだろうか・・・

本当に、穏やかに笑って暮らせる日々が幸せで仕方がない

でも、それはそんなにずっとは続いてくれず、父親の思い通りに事が運んでいるときだけで、まためんどくさい日がやってくる

けっして悪いだけの人ではない
家族想いな人ではある

良いときは、まあまあいい人で扱い方を攻略すればなんとかなっている時もある

でも、悪くなるときのエネルギーが強すぎて、一度のそのブラックファザーが普段のいい面を全て消し去ってしまう・・・
本当に損な性分だ

どうして普通の家に産まれなかったんだろう・・・
とずっとずっと思っている。

親は選べないからな・・・

家の中のゴタゴタが、私には本当にこたえて、結局いろんな夢を持つよりも平和な毎日を願う人になった

いつも何かに縛り付けられてるような、自分の心が解放されないようなそんな気がして、自分の回りのほんの狭い世界の中だけで、もがいているようにも感じる。

自分の子供達には、こんな気持ちで家にいさせたくない、自分の本当の気持ちと向き合って生きて欲しいと願っている・・・

でも、お客さん達といろんな話をしていると、そんな風に悩んでいる人は意外に多く、エネルギーの強い親を持つのも大変だ

エネルギーが強い人は、そのエネルギーの使い方が間違っているのではないか?と思うけど、きっと自分でもコントロールがきかなくなるんだろうなぁ・・・
だから、とても役に立つ人でもあるのに、せっかくの今までの人助けを一度の爆発で無駄にしてしまい、あの人とは係わりたくないになってしまうのだと思う・・・

私もなんとか攻略しようと「傾向と対策」を練っているけど、相手も手強い・・・

今のところ私の対策は
「自分とは違う考えの人間だ」としっかり私自身が自覚すること
そうすれば「どうして?」というストレスから身を守れること

そしてこれが一番のポイントなのだが、
相手は「発達障害では?」と疑問を持つこと

自分の感情をコントロールすることが苦手なのでは?

相手の気持ちを汲み取るのが苦手なのでは?

と、困った行動を「障害」と思ってしまうことで
「障害」はみんななりたくてなるものではないと、少し向こうの感情に向き合ってあげられるようになること・・・

そう思うとなるべく沸点に近づかないように行動ができるということ・・・

それが今の私の対策だ

それでもまだまだ対策しきれず・・・

という訳でまた家族を悩ます「謎の沸点」に戸惑う日々である・・・

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