母とあうんの呼吸で作っていた夕飯の支度・・・母ができなくなって気づく事

家事

いつも母と二人でご飯の支度をしているのですが、母が脳梗塞になる前は私が仕事が遅くなると先に支度をしてくれていました。

味噌汁作りは母の仕事

二人でやっていても阿吽(あうん)の呼吸で、なんとなくご飯の支度をしていてもお互いに手が空いた時に次に何をやるとスムーズに事が運ぶのかを考えながらやって来ました。

そして私が一品、母が一品作ると夕飯がスムーズに作れていました。

でも今は母はお味噌汁を作ったらそのまま動きがストップします。

母の中で「お味噌汁は作れる」という意識で作っているので、私がこの後何を作ろうとしているかを聞く前にお味噌汁を作っているので、カレーにするつもりだったり、鍋系にするつもりだったりしても、お味噌汁ができている時はメニューを変更する事になります。

忙しなく夕飯作り

次女が6時過ぎの電車で帰って来るのを迎えに行って帰って来るとだいたい6時20分過ぎぐらい

それから父親が寝るのが早いので7時にはご飯が食べれるようにご飯の支度を開始

その前に父が晩酌をするので夕飯の支度の前に何かつまみを出しておきます

以前はそういうのは母がやっていてくれたのですが・・・

迎えから帰って来てからの時間がとにかくバタバタです。

娘の迎えを父親に頼めば私がご飯の支度をしていられますが、なんとなく今は一人で農家の仕事をしているので忙しい時期は頼みづらいかな・・・

頼めば気持ちよくやってはくれますが、これまた毎日となると、父親も疲れが溜まって来るとイライラしてくるので、そこはどうしても困る時だけしか頼みません。

そんなわけで、帰って来てからの夕飯作り、一応母と二人でやっていますが、その今までの阿吽の呼吸がなくなった今、私もテンパりながら母ができそうな事を見つけて頼むのがうまくできずにいると母はそのまま流し台の辺りでフリーズしています。笑

私はその母をよけながら野菜を切ったり炒めたり、もう一品途中で作りながら皿を出したり・・・

とにかく7時までに父親が食べれるものを作って出して食べれるようにする・・・

メインのおかずは間に合わない事もあるのでそれはまた明日食べてもらいます。

その後、間に合わなかったおかずを作り7時半ぐらいに・・・みんなが食べられるのはそれからです。

失くなって気づく事

お味噌汁を作ってくれるだけでも助かるし

洗い物をしてくれるだけで助かります。

硬い物じゃなければ野菜も切れますし

かき混ぜるのもできます。

でもその今までの「阿吽の呼吸」というのができなくなって初めて感じます。

ずいぶん助けてもらってたんだな・・・

そして、ずいぶんできない事が増えたんだなぁ・・・

病気だから仕方ないけど

病気って怖いなぁ

こうやってだんだんと歳をとり

だんだんとできない事が増えていくんだな・・・

覚悟しなくちゃな・・・

そういう歳になったんだ・・・私も

親の今後が気になる歳に

そうして毎日バタバタと夜が更けていくのでした。

元気だった頃の母の愚痴

母が元気だった頃、友達が来ると昔話になって

「私たちが嫁に来た頃はさ〜」

なんて話してました。

「おばあちゃんは42歳で姑になって、それ以来一切家事はやらなかった・・・全部やらされた」

「それなのに私はいつまでこんな風にやってなくちゃいけないのかね〜」

「私たちの世代が一番損だ」

「姑に使われ、若い者に使われ」

なんてよく言ってました。笑

私は聞こえないふりしてたんですが

でもこんなきっかけでできなくなって

結局家事がリハビリです。

たしかに大変な世代です・・・

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