2021年1月17日
あの日から26年・・・
1995年1月17日
午前5時46分
「阪神淡路大震災」
兵庫県南部を中心に大きな被害を出した、観測史上初の震度7を記録した大震災でした。
あの日、仕事が休みだった私はいつもより遅く起きてテレビをつけた・・・
テレビのワイドショーですごい画像が映って、どこの国の出来事かわからなかった・・・
「え!?何が起きたの?」
と、理解するまで時間がかかりました。
ひっくり返った高速道路
もう少しで落ちてしまいそうなバス
ビルがポッキリ折れて倒れていたり
ビルの間の階が潰れていたり
とにかく今まで見たことが無いような衝撃的な映像でした。
それまでは、学校の避難訓練で
「地震が来たら机の下に潜りなさい」と習って来た。
その概念を一気に変えてしまいました。
あんなすごい地震が来たら、机のしたに潜ったって建物が潰れてしまったら何もならないじゃないかと、あの阪神淡路大震災の後は、地震が来ると外に出るという週習慣が出来てしまいました。
首都直下型地震で揺れの後は火災が発生し、多くの人が命を落とし、死者は6434人・・・まるで地獄絵図のようでした。
あの大災害は、日本中の・・・いや、世界中の人が恐怖におののきました。
あれから26年も経つのか・・・としみじみ思っていました。
本当にあの日のあの映像を見た衝撃は26年経った今でも覚えています。
遠くに暮らす揺れを感じなかった私達でさえ、このような感情になるのですから、揺れを直接感じてしまった人達のトラウマは想像できないほどだと思います。
以前、娘が小学生の時の子ども会の遠足で、「東京消防庁 本所防災館」という所に行ったのですが、そこではいろいろな災害の体験や勉強ができる施設だったのですが、地震体験コーナーでは震度7まで体験できました。
その中でも、「阪神大震災の揺れ」と言って震度7を体験したところ、想像を絶する揺れでした。
床は飛びはね、物につかまっていても振り払われそうで、肩を捕まれて思いっきり揺さぶられるようなそんな体感です。
あれは防災館で安全に震度7を体験できる施設なので、捕まるテーブルもたしか固定されていたと思いますが、実際のテーブルは床の上に置いてあるだけなので、テーブル自体がどこかへ跳び跳ねて行ってしまうでしょう・・・
そこにガラスや棚の中の物が飛んで来て、暗い中で停電までしてしまう・・・
実際は防災館とは全く違う事が起きるのでしょう・・・
それでも、あれを体験してみるとある意味「あきらめ」みたいな物も感じてしまいました。
あんな揺れが来たら、きっと何もできない・・・
運に任せるしかない・・・
と思ってしまったのも事実です。
26年前、自分なりにいろいろ感じてリュックにいろんな物を詰め込んでいつかの災害に備えたつもりが、いつの間にかそのリュックごと失くなってしまいました。
もちろん家には最低限の飲み水や食料、電池、トイレットペーパーやティッシュの備蓄はしています。
日本は災害国で日本中がいろんな災害の被災地ですね・・・
何をどう備えるかは、本当に難しいものです。
でも、皆さんの体験した恐怖から学ばせてもらった事を無駄にはできませんね・・・
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